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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)74号 判決 1982年2月12日

原告 腰塚儀一

原告 腰塚康子

右両名訴訟代理人弁護士 村瀬章

被告 三井造船株式会社

右代表者代表取締役 前田和雄

右訴訟代理人弁護士 佐野隆雄

同 小川秀史郎

同 釜萢正孝

同 矢野真之

同 三井一雄

主文

一  被告は原告らに対し各金五三八万円及びこの内金四八八万円に対する昭和五二年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  原告ら

1  被告は原告各自に対し、各金二〇八九万一六八三円及び各内金一九八九万一六八三円に対する昭和五二年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1につき仮執行宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等の地位

被告は、肩書地において、バックホー(建設重機)等の設計、建造、修理及び解体等を業とする会社であり、河野道弘は被告会社の鶴見工場品質保証課員でその被用者であるもの、株式会社高木鉄工所(以下「高木鉄工所」という。)は、昭和五一年一一月頃、被告からバックホーの製缶熔接及び組立工事を元請し、その頃から、有限会社都賀製作所(以下「都賀製作所」という。)は、高木鉄工所から下請して、バックホーの組立等の工事を行なってきたものであり、亡腰塚廣(昭和二二年二月二日生)は、都賀製作所の代表取締役で、自らも現場で組立等の工事、作業をしていたものである。

2  事故の発生

昭和五二年一〇月一三日午後九時五〇分頃、栃木県上都賀郡粟野町大字下永野五〇六所在の都賀製作所工場内において、亡廣がM三一一〇型バックホー(以下「本件事故機」ともいう。)を試運転車に装着し、スイングストッパーの調整をしていたところ、右バックホー(約九〇〇kg)が突然廣の上に横転したため、同人は頭蓋底骨折等の傷害を負い、同日午後一一時一〇分頃死亡した(以下「本件事故」という。)。

本件事故機は、当時、都賀製作所において、同製作所が高木鉄工所より組立等の工事を請負い、工事中のもので、前記河野道弘が完成検査を終え、手直し確認検査を行なっていたものであるところ、同人が右事故機には同機と試運転車とを固定するためのピンが挿入されていないのにこれに気づかずに、突如右事故機のアウトリガーの操作レバーを前倒操作したため、アウトリガーが作動して機体が安定を失い、横転したものである。

3  被告の責任

前記のとおり本件事故は、バックホーの横転によるものであり、この横転は前記河野のなしたレバー操作によるアウトリガーの作動によって招来されたバックホー機体の安定喪失によるものであるところ、当時右河野はアウトリガーのレバーを操作する必要がないのに、不用意にもこれを操作した点において既に過失があり、さらに、かりにアウトリガーを作動させる必要があったとしても、その場合には必ずピンを挿入して(試運転車と)バックホーを固定させなければならないにもかかわらず、同人がピン挿入の有無を確認することを怠り、漫然とアウトリガーのレバーを操作し、よって発生せしめたものであって、本件事故の発生については河野に過失があり、右同人の行為は被告の事業の執行に付きなされたものであるから、被告は河野の使用者として廣及び原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 廣の逸失利益及び原告らの相続

廣は死亡当時満三〇歳八か月の健康な男子であったから、本件事故にあわなければ、満六七歳までの三七年間就労可能であったと考えられ、同人の右事故当時の年収は三一二万円を下らないものであったから、右収入金額から生活費として四割を控除し、ライプニッツ式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除した逸失利益の現価は三一二八万三三六六円となる。

原告らは、廣の父母であるから、法定相続分に応じて廣の逸失利益を各二分の一宛相続により取得した。

(二) 慰藉料

廣の死亡による原告らの慰謝料は、原告各自について四〇〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

原告らは、廣の葬儀を主宰するにあたり、各二五万円をこえる金員を出捐した。

(四) 弁護士費用

被告は本件事故により廣及び原告らの蒙った損害を賠償する責任があるのに、任意にこれを支払わないので、原告らはやむなく本訴の提起及び追行を本件訴訟代理人弁護士に委任し報酬として各一〇〇万円を支払う旨を約束した。

5  よって、原告らは被告に対し民法七一五条に基づき、前項記載の損害金合計各二〇八九万一六八三円及び各内金一九八九万一六八三円(弁護士費用を除いたもの)に対する本件事故の翌日である昭和五二年一〇月一四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、被告が肩書地においてバックホー等の設計、建造、修理及び解体等を業とする会社であり、河野道弘が被告会社の鶴見工場品質保証課員でその被用者であったこと、都賀製作所が、高木鉄工所からバックホーの組立工事を下請していたこと、亡廣が都賀製作所の作業員として現場で組立等の工事、作業をしていたことは認めるが、高木鉄工所が、被告からバックホーの組立を元請したとの点は、否認する。なお、亡廣が都賀製作所の代表取締役であったことは知らない。

2  同2の事実中、廣がスイングストッパーの調整をしていた際、河野がアウトリガーの操作レバーを動かしたところ、突如本件事故機が横転したこと、右事故発生の日時、場所、廣の傷害の内容、同人の死亡日時がいずれも原告ら主張のとおりであること、本件事故機は、当時高木鉄工所が都賀製作所に下請させ、組立工事中のものであったこと、前記河野が、右事故当時、右事故機の手直し確認検査を行なっていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同3の主張は争う。却って、本件では、レバー操作によるアウトリガー作動の必要があったものであり、右レバー操作等に関する通常の手順及び操作者等の作業分担については、後記三のとおりである。

4  同4の(一)のうち、原告らが廣の父母であることは認めるが、同(三)、(四)の事実は知らないし、損害の主張については全部争う。

三  被告の主張

被告は、高木鉄工所に対し、昭和五一年一一月頃からバックホーの製造を注文し、購入することとしたものであるが、同五二年八月末に同鉄工所から納入されたM三一一〇型(HL七〇七型用)一五台のバックホーを出荷しようとした際、かなりの程度の修正工事の必要が生じたので、やむなく次に納入予定の二〇台分については、被告において若干の技術指導をなし、かつ、検収にあたっては都賀製作所に前記河野道弘及び品質保証課課長補佐能登谷吉衛を出張させて完成検査等を行なわしめることとした。

本件事故の発生した昭和五二年一〇月一三日には、高木鉄工所として翌一四日に出荷番号二七ないし三〇号機のバックホー四台を被告会社鶴見工場に出荷する予定となっていたため一三日午後四時三〇分頃から、手直し個所の修理を完了したバックホーを腰塚一夫、廣の兄弟が順次試運転車に設置して、手直し確認検査を河野らに求めたので、同人らは二七、二九、三〇、二八各号機(本件事故機)の順に検査を行なった。

そして、河野が、右腰塚兄弟の要請をうけて、同日午後九時五〇分頃、右兄弟が試運転車に装着した二八号機の運転席につき、まず、バックホーの安定を保つため、アウトリガーを出したのち、同機の手直し確認検査にとりかかったところ、スイングストッパーが依然として不具合であったので、廣がその手直し作業にとりかかった。そこで、河野はバックホーを操作することを中止し、次の手直し項目であるレバーロックの検査(その不具合については完成検査の際、指摘済のもの)を行なうため、アウトリガーの操作レバーを動かしていたところ、突如バックホーが、試運転車から外れ横倒しとなって本件事故が発生した。

しかしながら、本来アウトリガーは、バックホーの機体を十分接地させて安定させるため用いるものであり、アウトリガーの作動により、バックホーが倒れることなど通常考えられないことである。にもかかわらず、本件のような事故が発生したのは、次のような原因によるものである。

すなわち、手直し確認検査も含め一般にバックホーを操作する場合には、これをランドメイト本体若しくは試運転車等に装着すべきものであるが、右装着は、バックホーのスライドヘッドの上部ピンを本体側のフック部に入れ、かつ、スライドヘッドの下部ピン穴を本体側のピン穴に合わせてピンを挿入してなすものであるところ、廣らは、本件事故機について、下部ピンを挿入していなかった。廣らは、従前、予め右のような要領でピンを挿入して試運転車にバックホーを装着してから、河野らに対し検査を要請していたため、検査は無事完了していた。したがって、廣らが本件事故機の下部ピンを挿入していさえすれば、アウトリガーを作動させても機体は安定を失わず、従って本件事故は発生しなかったというべきである。

とすると、河野としても、手直し確認検査を求められた以上、ピンが挿入されていないことなど予想だにできなかったものであり、本件事故発生は、予見不可能であったというべきであるから、同人に過失は無い。

第三証拠《省略》

理由

第一責任原因

一  被告が、肩書地において、バックホー等の設計、建造、修理及び解体等を業とする会社であり、河野道弘が被告会社の鶴見工場品質保証課員で、その被用者であったこと、都賀製作所が、高木鉄工所よりバックホーの組立を下請していたこと、亡廣が都賀製作所の作業員として現場で組立等の工事、作業をしていたこと、本件事故発生の日時、場所、廣の傷害の内容及び死亡日時、廣が、本件事故機のスイングストッパーを調整していた際、右事故機の手直し確認検査に従事していた前記河野が、同機のアウトリガーレバーを動かしたところ、突如、同機が横転したこと、本件事故機は、当時、都賀製作所が高木鉄工所より下請工事中のものであったことは、いずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、亡廣は昭和二二年二月二日生で、本件事故当時、都賀製作所の代表取締役であったことが認められる。

二  右争いのない事実並びに《証拠省略》を総合すると、次のとおり認められる。

1  腰塚廣は、実兄腰塚一夫(原告らの長男で、その妻は八重子。昭和一九年九月四日生)らとともに、家業の機械器具製造・販売業に従事していたが、昭和五一年一二月頃、都賀製作所(資本金三〇〇万円)を設立して、その代表取締役(他一名の取締役は前記八重子)となり、数名の従業員を使用し、自らは、主として機械の製缶、熔接作業にあたっていた。

2  腰塚らは、昭和五一年一一月頃、高木鉄工所から被告のHL(ショベル付き四輪車で積込用の建設機械であるホイルローダーの略)三型用バックホーのブームの製缶、熔接を下請したことがあったが、翌五二年七月頃から、都賀製作所は、本件事故現場となった粟野工場において、M三一一〇型(HL七〇七型用)バックホーの試作を皮切りに月二〇台ぐらいの割合で、同型のバックホーの組立工事を高木鉄工所からの下請として、行なってきた。

3  都賀製作所は、それまで、バックホー組立の実績がなかったため、高木鉄工所を通じて、機械の図面、シリンダーなどの重要部品を被告から供給してもらい、被告及び高木鉄工所より、技術面の指導を受けながら工事を行ない、昭和五二年九月頃までの間に、計七〇台ぐらいの組立工事を受注していた。

4  被告は、昭和四四年頃からHLを開発し、HLの中には機種によってバックホーを取付けるものもあったが、主としてコスト面から、HLの製造を外注していたところ、高木鉄工所に対しては昭和五一年九月頃、設計図、主要部品を支給してHL三型用バックホーの組立等の工事ないし製造を試作的に委託し、同年一一月頃、一応の試作機を得たので、その頃から昭和五二年九月頃までの間で、数種のHL型用のバックホー合計約一〇〇台を発注して納入を受けたものの、被告からみると、(なおまた客観的にも)高木鉄工所の該機組立等の技術はかなり未熟で、時に初歩的ミスをおかすこともあり、その検査能力を到底信頼できなかったため、組立後の完成検査等には、被告の従業員を前記粟野工場等へ派遣出張させて実施していた。

5  河野道弘(本件当時三五才位)は、昭和四一年八月、被告会社に雇用され試験調査課(後に品質保証課と改称)に属し、建設機械の製品検査の業務をなし、昭和四四年頃からバックホーの検査作業に従事し、本件事故当時までに相当の経験を積んでおり(検査台数約一〇〇〇台)都賀製作所には、昭和五二年六月頃出張したのが最初で、以後本件事故までの間に二回完成検査、手直し確認検査等のため訪れた。

6  本件事故機と同種のバックホー単体は、前部先端にあるバケット(容量約〇・一m3、幅約五二cm)で、主として掘削等の作業(場合によっては、物をバケット内にすくい入れたのち、その場、またはHL本体の走行による搬送後に、他の場所等に置き、もしくは積込む。)をなすものであって、該バケットに順次接合して、その前後、上下、左右への移動(その距離は数mに及ぶ。)等を容易にするため、ステックブーム、メーンブーム等があるほか、後者の基部付近には接地してこれを支え、もってバックホー単体の安定、固定のためのアウトリガーが、左右に各一脚付属しており、かようにして、各ブームは前記のとおり四方八方前後等の全方位的、立体的な動きが可能であるが、アウトリガーの動きは、上下にのみ限られ、これを下方に伸出することにより、バックホー単体は反対に上方に持ちあげられる状態になり、また、アウトリガーの側方に突起したフックとHL本体(本件のような検査の場合は、試運転車体)の側方に突起したフックとは、各穴部に挿入されたピンによって結合、固定され、かつ、バックホー単体のスライドヘッドの上部ピンを本体側のフックに入れているため、充分に接地した重量物である右本体同様の固定を得、安定を保つことができる構造である。従ってもし、右ピンを挿入しないで、アウトリガーを作動させるときは、バックホー単体は上方に押しあげられ、単体の下部と地面(ないしアウトリガー下部面)との間隔がより開く結果、単体の横転、前傾倒さては転倒等のおそれを惹起する。なお、右バケット、ステック、メイン各ブーム及びアウトリガー等は運転席に備付の各操作レバーの操作によって作動するが、バックホーの動力源は油圧機関であって、ステック、スイング、アウトリガー、ブーム、バケットの各名称を冠したそれぞれのシリンダー等を内蔵する。

7  バックホーの検査は、通常、完成検査、手直し確認検査、時に必要があれば再手直し確認検査の順序でなされる、これらの検査事項、手順、方法等の概要は次のとおりである。

完成検査は、まず、欠品部品の有無、熔接、取付等の有無及び状況等を機体の外側等から視認等してなす外観検査に始まり、次いで、バックホー単体やその運転席に搭乗し、レバーロックを解き、アウトリガーレバーを操作して作動させ、その他のレバーを操作して、バケット、ブーム等を作動させ、または手で揺動する等し、これらによって各機器の個々的機能(作動範囲、その円滑性のほか緩衝効果等を含む。)及び連動関係並びに油漏れの有無等を約四〇項目にわたって調査、検査し、手直しを要する個所があるときは、これを検査成績表に書き込み、また不具合箇所を組立等工事者側(亡廣、前記一夫ら)に見せて指摘し、時にはその手直しの仕方等についても指示もしくは助言するものであるが、標準仕様の本機の性能の限界を確保すべく、前記作動等は繰返して何回も、しかもかなり乱暴になされ、また前示構造上の特性から油漏れ検査に関しては、とりわけ精細、慎重であったから、完成検査は、建物外の空地等で、昼間なされることが多く、一台に一時間半程度を要した。

手直し確認検査は、組立等工事者側で手直し作業を終えたのち、この検査の求めに応じて、前記検査成績表記載の個所につき、通常は夜間に及び工場内で、三〇分程にわたってなされるものであり、再手直し確認検査は、手直し確認検査の際の不具合箇所を工事者側で再手直し作業をしたあとなされるものである。

尤も、高木鉄工所ないし都賀製作所側は前示のとおり未熟練、かつ、作業進行が遅延気味であったためと、被告側においても工事者側の技術的水準が低いものと考えており、また、進行を督励する必要があったため、叙上の各検査の段階ないし順序、時間帯、場所、方法は、必ずしも以上のように截然とはなされず、例えば、工場建物の近傍で、夜間、手直し確認検査中、完成検査の際になす如き大幅な機器の作動を試み、あるいは、手直し確認検査終了後、バケットロックの取付熔接作業にかかるようなことも行われた。

8  河野は、品質保証課課長補佐能登谷吉衛とともに、昭和五二年一〇月一〇日粟野工場を訪れ、M三一一〇型バックホー二〇台分の完成検査を開始し、翌一三日には、右のうち一〇台が、手直し後の最終検査の段階に達していたが、都賀製作所従業員らが組立工事に熟練していなかったこともあり、総じて、検査の進行は遅れがちであった。同日午後八時頃までには、翌朝出荷予定の四台分(出荷番号二七号ないし三〇号)のうち、三台目の検査が完了し、本件事故機である残る四台目にあたる二八号機について腰塚一夫、廣らがバックホー本体を試運転車に装着したうえ、河野に対し、手直し確認検査を求めた。

本件事故機の完成検査後の指摘した不具合箇所は、スイングストッパー、レバーロックの各不具合、油漏れ等であったので、河野は、ただちに、同機の運転席に乗り込み、まず、アウトリガーレバーを操作して、アウトリガーを左右とも軽く接地する程度に出し、バケットシリンダーとスイングシリンダーを作動させてバケットを回転させ、左側のスイングストッパーの手直し部分を検査したが、依然として調整不十分であったので、腰塚兄弟に、その旨確認させ、ついで、右側のスイングストッパーを検査したところ、これは良好であった。

そこへ、廣がグラインダーを持ち込み、本件事故機の傍で左側スイングストッパーの調整作業を始めたので、河野は次に予定していた油漏れの検査にとりかかっては廣の右作業の妨げとなるものと思い、他の事項ないし箇所の検査をすべく、一旦運転席から降りようと考え、ついてはアウトリガーの現状を保つ要があるので、そのレバーロックを施錠しようとしたが円滑に施錠できなかった(右側レバーロックの切込部分がアウトリガーレバーにかかっていたため)ところ、このレバーロックの不具合は手直し指摘事項であったことを想起し、手直しずみであるから聊か外力を加えれば施錠できるものと考え、左右のレバーを二、三回揺り動かしたところ、ロックが不完全であったため、アウトリガーレバーが作動し、アウトリガーのフックの穴部と試運転車のフックの穴部に挿入されるべきピンが挿入されていなかったので、試運転車に十分固定されていなかった本件事故機が安定を失なって横転し、そのはずみで河野は同機の運転席から地面へ放り出され、廣は同機の下敷となった。

廣は、右事故により、頭蓋底骨折、左頭頂側頭部挫創の傷害を負い、ただちに、最寄りの病院に運ばれ、手当てを受けたが、同日午後一一時一〇分頭蓋底骨折により死亡した。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

三1  そこで、河野に、原告主張のような過失があったか否かにつき検討する。

まず、原告は、河野においてアウトリガーレバーを操作する必要がないのに、不用意にこれを操作し、よってアウトリガーの作動によるバックホー機体の安全喪失からするその横転を招来し、本件事故を惹起させた点において、右河野に既に過失があるとの主張をなすが、前認定のとおり本件事故の発端は、右レバーの揺動なる操作にあるものの、これによりかねて不具合であったレバーロックの不完全性が顕現し、レバーが作動し、その以前に伸出させていたアウトリガーによって地面とある間隔を開いていたが、これもピンが挿入されていなかったため十分に固定していなかったバックホー単体が横転したものであって、右相次現象の機序を異にするばかりでなく、当時河野のなすべき手直し確認検査の内容(その主要なものは亡廣も知らされていたもの)からしても、アウトリガーレバーを操作し、もってアウトリガーを作動せしめることは必須不可欠であったから、原告の右主張はこれと異なる事実または機序を前提とするものであって、到底採用できない。

されば、レバーの操作によるアウトリガーの作動の要については縷述するまでもないが、これらの操作、作動自体によってバックホー単体の安定度を損い、その転倒等の危険性を増すことは前説示のとおりであり、その場合、バックホー単体と試運転車とは、上部と下部との二箇所において挿入されたピンにより結合・固定されているものの、かりに右ピンの不挿入事態において、アウトリガーレバーを動かし、よってアウトリガーを伸出等作動させるときは、バックホー単体は試運転車からはずれ、転倒の高度の蓋然性を帯有すること及び本件の如き製造組立中の未完成品にあっては、右レバーロックの不具合を残し、不用意にレバーに触れるときは、操作したこととなり、アウトリガーが作動し、よって同様の危険を生ずることは容易に予見することができるところ、判示の如き重量物の転倒によって他人の生命、身体を害する事故を惹起するものであるから、本件バックホーを取扱う者としては、右ピンの挿入を確認し、ピンの不挿入状態下においては、アウトリガーを作動させるような一切の行為を差し控え、もって前記事故を防避すべき業務上の注意義務があるのに、前記河野はこれを怠り、前示のとおり廣が本機の傍で手直し作業中であることを知りながら、ピンが挿入されていないことを看過し、漫然レバーを揺動し、よってアウトリガーを作動させ、これにより本件事故機を試運転車から外れしめたうえ横転せしめた過失があるといわなければならない。

2  河野が、被告の被用者であることは、当事者間に争いがないところであり、以上一、二の認定事実からして、同人による本件事故機の手直し確認検査行為は、被告の事業の執行に付きなされたものであることが明らかであるから、本件事故によって亡廣及び原告らに生じた損害につき、被告は使用者として損害賠償の責に任ずべきである。

第二損害

一  《証拠省略》によると、亡廣は、本件事故当時満三〇歳の健康な男子(なお、当時、毛塚某女と婚約中であった。)であって、都賀製作所の代表者としてバックホーの組立作業などの業務に従事し、毎月報酬として二六万円の収入があったことが認められる。

とすると廣は本件事故に遭遇しなければ満六七歳までの三七年間就労可能であったと考えられ、その間毎年平均して少なくとも年額三一二万円程度の収入を得ることができたというべきである。

そして、右収入金額から生活費として五割を差し引き年五分の割合による中間利息をライプニッツ式計算方法(係数一六・七一一二)により控除し、廣の死亡当時の逸失利益の現価額を算定すると二六〇六万九七四二円となるから、廣は、その死亡により同額の損害を蒙ったものである。

しかして、《証拠省略》によると、亡廣の相続人は、同人の父母である原告両名に限られ、原告らは廣の逸失利益をそれぞれ法定相続分にしたがい相続したことが明らかであるから、その額は各二分の一ずつの各一三〇三万四八八七一円となる。

二  慰藉料

《証拠省略》によれば、原告らは、実子である廣を失ったことにより精神的苦痛を蒙ったことが認められ、右事実と廣の死亡の原因、態様その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛に対する慰藉料としては原告各自につき三〇〇万円とするのが相当である。

三  葬儀費用

《証拠省略》によれば、原告らは廣の葬儀を主宰し、そのため五〇万円余を支出したことが認められるところ、そのうち五〇万円(原告各自については二五万円)は廣の死亡と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

四  過失相殺(事実摘示のとおり被告は、明示的には本件事故の発生原因につき、河野の無過失、亡廣の過失を挙げているが、このことにより仮定的に過失相殺の主張をもなすものと解する。)

前記第一の二、三に認定したように、本件事故の原因として廣、一夫らが本件事故機の手直し検査のため、右事故機を試運転車に装着させるにあたり同機のブラケットをピンで試運転車に固定しておかなかったことがあげられるから、廣としては、右のような方法でバックホーの固定を行なって危険を避けるべきであったと考えられる。

とすると、本件事故については、廣にも相当程度の過失があったといわざるをえず、その割合は、概ね廣が七割強、河野が三割弱とみるのが相当である。

そして、右割合で、右一ないし三の損害額を相殺すると、各四八八万円となる。

五  弁護士費用

《証拠省略》によれば、原告らは、被告が損害賠償金を任意に支払わないので、本件訴訟の提起と進行を本件訴訟代理人弁護士に委任し、その報酬として各一〇〇万円を支払う旨を約束したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、前記認容額等に照らすと、弁護士費用として原告各自につき各五〇万円を廣の死亡と相当因果関係のある損害と認めるべきである。

六  以上のとおりであるから、被告は、原告ら各自に対し、右一ないし五の損害金の合計五三八万円及びこの内金四八八万円に対する廣が死亡した日の翌日である昭和五二年一〇月一四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第三結論

よって、原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 薦田茂正 裁判官 小松一雄 小林敬子)

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